安月給の底辺サラリーマンがアイロンもかけてねぇワイシャツで出勤前に、
こんな落ち着いた場所に来ても逆に落ち着かんわ。
もう少しこう、ガヤガヤっつーか、キャッキャッっつーか、なんつーのか。
私の中にオレが戻ってくるっつーか、
まぁいいや。めんどくせぇ。
ところで寝グセと薄毛隠しにはやはりハットですが、
この前買ったハットにスワロフスキーで飾りを付けたりなんかしちゃったり、みたいな。的な。
やっぱオレ、キモイ、って感じ。
こういうちょっとしたカスタマイズって大事だよな。
楽器、道具、服やアクセ。 自分がそいつに歩み寄ることと、そのモノを自分に合わせてカスタマイズする。
それがあって初めて「自分自身がそれを使う」っていう意味が生まれるんですぜ旦那。
これどういう事かって言うと、
例えばオレという人間が居て、例えばギターを買う。
この場合、「ギターの弾き方を覚える」ことでオレがギターに歩み寄ってる訳。
一方で弦のゲージを変えたり、ピックアップを交換してみたり、塗装したり削ったり・・・
そうやってギターの方を自分の好きにカスタマイズをする。
この2つのプロセスってあんまりそう意識しないだけで、人とモノの間には大体こういう関係が成り立ってんのね。
オレはそうしてモノの性能と使用者の目的が相互に近づいていくことで、「自分自身がそれを使う」、みたいな なんつーか一体感みたいなものを感じるんです。 要するに「モノ」に対する愛着だろうね。
それで上の写真のハットの場合。
まずはお店で数あるハットの中からコレを選ぶ。 基本的な形、ディテール、色…あと値段。ここら辺にある程度満足してコイツを買ってくる。
もちろんこの満足度が高いに越した事はないんだけど、実はこの時点で100%でなくても良い。
足りない分はオレが近づき、カスタマイズによって相手を近づけるんだしね。
そして買ってきて家にいくつもあるハットの中から今日はコイツをかぶろう、とまた選ぶ訳だ。
ここまでで随分オレはこのハットに近づいていってるよね?
そして今度はモノをオレに近づける番。
日除け、通気性といった道具としての「機能」と、デザインや配色というファッションとしての「機能」。
この二つを合わせてコイツの「性能」と言うとする。
他人に頼むか自分でやるか、モノの性能を上げたけりゃその上げたい機能によって色々。
ここで日除けや通気性が足りてないならそもそもこのハットは選んでない訳だし、型や色が気に食わないのなら店で買う段階で他の選択肢があった。
じゃあ大筋で満足しているこのハットにオレが更に求めるもの、
それが今回くっつけたワンポイントの飾りだった訳だ。
・・・なぁんてまとめ方をしちゃうと持論じゃなくて只の事後的な行動分析みたくなっちゃうけども。
Jr.流「人とモノ」論でした。